雨の日はわたしのメンテナンス日
雨の音が聞こえる朝は、ちょっと特別。
洗濯物は部屋干しだし、子どもの送迎も少し気合がいるし、外に出かける気分にもなりにくい。
けれど、そんな“制限された一日”が、実は「わたしのメンテナンス日」になると気づいたのは、ここ数年のこと。
結婚して、子どもが生まれて、日々の生活に追われていた頃。
私は「晴れている日こそ行動する日」だと思っていた。家事を一気に片づけて、買い物にも行って、公園にも連れて行って。空が明るければ自分も明るくいなきゃ、そんな気負いがあったのかもしれない。
でもある日、ぽつりと降り始めた雨の朝に、私はすべてを「今日はいいか」と手放した。

雨音がくれる“もう一回寝てもいいんじゃない?”の許可
その日は土曜日。朝からしとしとと降り始めた雨に、息子も珍しく「きょうはおうちにいたい」と言った。
じゃあ、とことんのんびりしてみよう。
朝ごはんはトーストと昨日の残りのスープで済ませて、ゆっくりお茶を飲みながら、ただ窓の外を眺める。
雨音って、なんだか不思議。
静かなんだけど無音ではなくて、ほどよく生活音を包み込んでくれる。
テレビも消して、BGMもなしで、雨のリズムに身を任せると、自分の呼吸が少しだけ深くなる。
「整う」って、こういうことかもしれない。
頑張って予定をこなすことでも、ちゃんとやりきることでもなくて。
ただ、自分の“今”にぴたっと合うペースで生きること。
片づけも、料理も、ちょっとだけ「整える」
雨の日はなぜか、片づけたくなる。
光が柔らかくて、部屋のなかのホコリが見えるから?
いや、たぶん、出かけない=散らからない=整えるには最高のチャンス、なのかもしれない。
食器棚の引き出しを1段だけ見直す。
賞味期限が切れたスパイスを1つ捨てて、入れ替えた瓶を拭いて。
たったそれだけのことが、不思議と心に余白をつくってくれる。
夕ご飯は、いつもより丁寧に。
煮物をことこと炊いて、お味噌汁にはとろろ昆布を入れてみた。
特別なことはしていないけれど、料理しながら「これ、子ども食べるかな」って考える時間があるだけで、料理って少し“愛のある家事”になる気がする。
自分の中の「静けさ」とつながる時間
雨の日は、外の世界が少し遠くなる。
車の音も、人の声も、どこか遠くに感じる。
その分、内側の音――心の声――が聞こえやすくなるのかもしれない。
最近、なにに疲れてた?
なんでイライラしてたんだっけ?
あのとき怒ったのは、悲しかったからかもしれないな。
そんなふうに、自分を振り返る時間がとれるのも、雨の日の静けさのおかげ。

雨が嫌いじゃなくなった理由
昔は、雨が好きじゃなかった。
髪が広がるし、洗濯も乾かないし、傘を持ち歩くのも面倒。
でも、「嫌だな」と思いながら1日を過ごすより、「雨だからこその1日」にしてあげた方が、自分も家族も、少し穏やかにいられる気がする。
最近は、雨の日にお気に入りの音楽を流して、ハーブティーを入れて、エッセイを1ページ読むのが小さな楽しみになった。
晴れた日には見逃していた「わたしを大切にする時間」が、雨の日には自然とそこにある気がする。

おわりに:自分にとっての“整う日”をつくっていく
雨の日だから、できること。
雨の日じゃなきゃ、しないこと。
それが私にとって、「整う」の入口になっている。
もしかしたら、他の誰かにとっては、晴れの日や、夜の時間や、朝のコーヒーが“整い時間”なのかもしれない。
でも、私にとっての「雨の日のメンテナンス」は、忙しい日々の中で、自分を取り戻すための静かな魔法。
だから今日も、雨音に耳をすませながら思う。
「この時間があるから、また頑張れるんだよな」って。
あなたにとっての「整う日」は、どんな日ですか?
忙しい日々のなかで、自分と向き合える時間はどんなふうにやってきますか?
もし最近、ちょっとだけ心が疲れていたなら――
次の雨の日、ほんの少しでも自分をやさしく整える時間をつくってみませんか?
少しでも雨の日が心落ち着く日になりますように。
また来たいなと思ったら、
読者登録してくれたらうれしいです ☕𓂃𓈒𓏸